コラム


赤羽七福神への設計者の思い

赤羽駅西口地区の従後(再開発事業完了後)の市街地環境

四周を道路で囲まれた土地を「街区」と言います。下の事業完了時の【写真-4】に見るように、赤羽駅西口地区は三つの「街区」があります。その三つの街区に一棟ずつ再開発建物が建てられました。つまり、一つの街区の土地が、丸ごと一つの建築敷地として使われています。このため、各再開発建物は、再開発事業区域以外の周辺市街地の建物と比べて、頭抜けて規模が大きい建物になっています。

通常の市街地では、一つの街区の土地はいくつかの建築敷地に細分化され、細分化された敷地の数と同数以上の数の建物が建てられています。赤羽駅西口地区の再開発事業区域以外の街区は、戦災を免れ再開発事業区域からも外れたため、小割り敷地の状態で、低層小規模建物が密集する市街地がそのまま残りました。そのため、再開発事業区域外の小規模建物群と再開発事業区域内の再開発建物の巨大景観と極端なコントラストを見せています。従前の様子を写した【写真-3】と見比べると再開発事業区域内にあった小規模建物が統合され、三つの大規模建物に変貌した様子がよくわかると思います。また、写真下の鉄道も、従前の写真では地盤を走っていたのが高架になっています。

【写真-4】 【写真-4】

再開発事業の施行中には、公団関係者は、一つの街区で一つの建物となっている建物を公団特有の堅苦しい呼び名で、各々「1街区施設建築物」、「2街区施設建築物」、「3街区施設建築物」と呼んでいました。 現在それら三つの街区建物は、一般公募で決まった地区名称「パルロード」(みんなの街という意味です。)に施行中に使用していた街区ナンバーをつけて、それぞれ「パルロードⅠ」、「パルロードⅡ」、「パルロードⅢ」という名称が付けられています。

【写真-5】 【写真-5】

赤羽駅西口地区再開発事業は、二期に分けて2段階で施行されましたが、第Ⅰ期事業に7年7ヶ月、第Ⅱ期事業に14年1ヶ月、両事業の重複期間を差し引いた事業期間合計は17年の歳月を要しています。昭和30年代に地元で赤羽駅西口整備の必要性を求める声が高まり、北区が赤羽駅前地区A地区基本計画の作成を開始したのが昭和46年9月のことでしたので、その時から数えて、事業が始まる前の準備期間を含めると、下記の各街区施設建築物と公共施設(道路、駅前広場等)を完成させるのに要した期間は24年7ヶ月になります。

●第Ⅰ期事業事業期間:昭和54年(1979年)4月~昭和61年(1986年)11月
完成建物:パルロードⅠ:専門店街「アピレ」+住宅「赤羽アボードⅠ」
●第Ⅱ期事業事業期間:昭和57年(1982年)3月~平成8年(1996年)3月
完成建物:パルロードⅡ:専門店街「ビビオ」+住宅「赤羽アボードⅡ」
パルロードⅢ:大型物販店舗「イトーヨーカドー赤羽店」+
業務施設「日本フェルト」+
専門店街「ループ館」+
公益施設「パルロード赤羽駐車場・駐輪場」
完成道路:補助157号、補助73号、北区街3号、北区街4号、特別区道北1551号

赤羽駅西口地区再開発事業は、事業を始めた時に生まれた子供が、大学院の修士課程を卒業し就職するまでの期間を要しました。つまり一人前の人間になるまでの期間を要したことになります。

再開発事業は、気の遠くなるような時間と、多くの人手と、そして、たいへんなコストがかかります。それに関わった人たちが、目標に向かって辛抱強く、努力、協力して、立ち向かわなければ成就できないものです。