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(株)エンドウ・アソシエイツを
次世代へつなぐ君たちへ

(株)エンドウ・アソシエイツは、昭和27(1952)年創業の圓堂建築設計事務所を平成6(1998)年に改組してできた会社です。圓堂建築設計事務所が46年。(株)エンドウ・アソシエイツが今年で23年。ふたつを合わせるとあと一年で70年になります。

事務所が産声を上げたのは大阪。その後東京に移りました。銀座八丁目並木通りに40年近く事務所を構え、創業者圓堂政嘉の個人事務所の形態で事業を行ってきました。圓堂がこの形態に固執したのは、建築づくりを学ぶ塾のような形態の設計事務所にすることで、作品に自分の考えを色濃く出したかったからです。株式会社ではそれが難しいと考えていたようです。
ところが、この形態をあきらめ、平成6年に株式会社に改めました。そうしたのは、圓堂が余命幾ばくも無いことを知ったからです。個人事務所の場合、主宰者が亡くなれば事務所も無くなります。それまでいた所員が四散することで、それまで育んできた良質な建築づくりの考え方がちりぢりバラバラになり、ひとつの力となって世の中に訴えていくことができなくなってしまいます。おそらくそれを避けたかったのでしょう。
株式会社に変わった当初は、社名の通りに「圓堂の仲間たちの事務所」でした。しかし、改組後20年を超え、圓堂に叱られた思い出をもつものは、一人私を残すのみです。圓堂が目指した建築づくりを、圓堂から教えを受けなかった所員にも伝え次につなげられるようにするのが、残った私の責務だと考えています。

建築設計者は、顧客が描く夢の100%実現を目指します。
圓堂が活躍した時代は、戦火で灰燼に帰したまちの復興からバブルまでの右肩あがりの経済成長期です。ほとんどが新築の計画でした。「顧客の夢を実現するにあたってはいかに美しい形に仕立てるか」だけを考えていればよい時代でした。
逆に、(株)エンドウ・アソシエイツの時代は、バブル崩壊から現在までの失われた10年とも20年とも呼ばれる右肩下がりの経済下降期です。戦火で灰燼に帰したまちも経済成長期における建築ラッシュでストックが溢れるようになりました。そのおかげで、私たちの仕事も様変わりしました。「そのストックを取り壊して建て替えるか、それとも、ストックに増築、修繕、模様替、用途変更等の手を加えて使い続けるか」を考える計画が増えてきました。いずれの手法を採ったとしても、その計画を実行した場合の環境に与える影響を評価し、地球環境を維持し循環し続けられる設計をしなければならなくなりました。そういった課題を所員ひとりひとりが顧客の夢の100%実現を目指して、創意工夫で乗り越えられる設計者に育ってほしいと切に願っています。

令和2年10月